この日からの俺の行動予定はこうだった。
仕事は15時で終わり、そして母親の誕生日。
仕事が終わったら実家へ帰り親に労いの言葉でもかけ、
翌日の12日は少しお高い焼肉をおごる。
実家の暖かい布団で寝て、いつもと変わらぬ夜勤を送る。。。
実際。。。。
15時で終わる予定だった仕事は、先月の俺のミスで放置していた機械の
オイル入れ替え作業が決定し、残業で19時終わりになることに。
14時50分。次直への引継ぎもそこそこに準備に取り掛かろうとしていた矢先。
とある主任「東北で大地震があったらしい。・・・・のコンビナート炎上してるってよ。」
の言葉が耳に入る。
・・・・ん?まてよ、それなら仙台に姉貴夫婦が居るんだが。。。。
TEL「・・・・・・・」
おいおいおい、呼び出し音すらならねーじゃねーか。
仕事もあるということで、親父へテレビで確認するように促し、
姉と連絡が取れるまでTELLするように指示。
同時に姉の旦那の連絡先を聞くため岡山の妹の旦那に確認TELL。
番号は知らないらしい。妹は仕事中で電話には出れない。
メールで状況を飛ばす。
18時、、、作業中の俺に親父からの電話。
なんとか姉貴と連絡が取れ安否の確認が取れた。一安心。
旦那がわからん。どうなってるのか心配。
22時頃、、、仕事も終わり実家着。
連絡が取れそうな友達やらにTELLほとんど不通。
テレビで惨事を確認し事の大きさを再認識。
4時までは何とか起きといて姉に何度かTELL。繋がらず。限界にて睡眠。
埼玉の同い年のいとこにTELL。なにやら嫁さんの知り合いの人は
家が流されたらしい。いとこ自身は嫁と子供を避難させてから出勤。
しかしトラックで配送してるけど道が渋滞で一向に進まないらしい。
仕事は確実に残業だとか。。。。
3月12日
10時起きテレビつけながら埼玉のダチと連絡がつき、ある程度会話。
会話中にも揺れが酷かったようす。緊急速報流れてたしな。
夜中にかけてた電話のダチで松山の隣町に住んでるやつと
昼に久しぶりに会う約束をつけ、合流。
急いで実家に帰ったせいでメガネを持ってくるのを忘れていたため、
買うつもりでいたこともあり新規購入。
その後、アクエリオンのスロットを遊戯。メガネ代くらい稼いだ。
その台を打っているときに、ダチから原発爆発の話を聞く。
街頭のテレビに映っていたらしい。ツイッターでも確認。おいおいおいおい。
後々外壁であったことで一安心。
なんだか外に居ても落ち着いて居れた訳ではない。
飯屋では妹から姉貴と連絡が取れたときのことを聞き。
後の情報収集と連絡のやり取りを密にすることを取り決める。
その日の晩。
不謹慎であることは百も承知だったのだが、後ろめたい気持ちも含め
やっぱり母親も楽しみにしていた焼肉を止めるのもかわいそうだったので
姉のひとまずの安否も確認が取れているわけだということで。
ネットで探した焼肉屋はタクシーで向かうとつぶれていた。
母親が前に職場で進められていた焼肉屋へ移動。
かなりおいしく、親にも喜んでもらえた。今度は姉貴にも食わせてやりたいな。
しかし食事中でもひっきりなしに親の携帯には電話。
姉のことを気遣ってたくさんのひとが電話をよこしてくれたのだ。
ありがたいことだ。その都度姉の無事を伝えておいた。
家に帰るなり、妹から姉と再度連絡が取れ、旦那の無事も同時に確認できたとのこと。
親父からも再度TELL。。。。つながったっ!!!
このとき直接姉の声と旦那の声を聞いたのが初めてだったわけだが、
まさか声でどこまで悲惨だったのかが伝わってきた。
姉の疲れ切った搾り出すように話す声はソレを物語っている。
が、旦那はいつもの淡々とした感じの口調w
旦那の両親は直接安否が取れておらず、声も聞いてないことはこちらも
把握していたので、すぐに俺の母親の携帯を手に取り、向こうのご両親へ連絡。
携帯とうちの固定電話を手ぶらホン状態にして電話を向け合って
会話ができる状態を作ってあげた。(俺が居なかったらこの会話はできてなかった。)
会話内容から食うものもなく電気水道ガスなどのライフラインは全て断たれている。
とりあえず生活ができるところへ居ることがわかり、
これで家族全員が連絡を取れたこととなる。よかった。
今現在は、姉は旦那の職場の仲間で愛媛へ帰還するよう指示がされた方と
一緒に戻ってくることができ、実家で療養中です。
やはり精神的ダメージが大きいようで、落ち着いている愛媛の状況との
ギャップが激しく、現実を受け止められていない。
そして向こうで暖が取れていなかったことで風邪も引いている。
アフターケアは大事であることをテレビで専門家が言ってたがその通りだな。
一方旦那さんは工場の復旧で愛媛への帰還命令はでず。
立ち上げるための要員として残されたらしい。
無事に生き残って会社の復旧が叶うといいのだが。
また元気な姿をみたいな。
現地では命を落とされた方、復興のために尽力される方、
被災者を診る方、たくさん困っている人たちが居ます。
各所で募金運動が行われているため、少しでも協力ができるようであれば
してあげるといいですね。
俺も実家へ逃げ帰った姉が現金を少しだけ手にして帰ってきたため
実家で生活するためのものがないので資金援助してやりました。
現地の被災した方へは職場に設けられた募金箱に気持ちばかりですが
協力させてもらいました。
地震の影響を直接受けたところ以外にも経済的なダメージが大きいところが
多々あると思います。
はやくこの事態が収束し、復興できることを祈りお見舞いの言葉とします。
以上